結社の指導句会=伝統的=正統な勉強方法。
超結社の合評句会=伝統的でない=本格的に学べない。
この図式はやはり「固定観念」だと思います。実際に地方では、特定の指導者の指導を受けず、超結社句会のみで俳句を学んでおられる方がたくさんいます。そのような方の俳句が、結社に所属している人より劣っているとは、とうてい思えません。
また超結社の合評句会に出される句が、結社の指導句会で出される句と、全く傾向が違うかというと、そうでもありません。(地方で「出入り自由」の超結社句会をしても、「有季定型」「旧仮名遣い」「客観描写」の句が、過半数を占めます)つまり上記の二つの句会の大きな違いは、句会の運営仕方にあると言えるでしょう。
さてここから現実的な話になりますが、「結社の指導句会」に年に十回以上行って、俳句の基本を学んだという学生や社会人の方に、地方でほとんど、会ったことがありません。(「結社の指導句会」の入会条件が厳しすぎて、「生涯学習」の場になっていないという可能性が考えられます)
では、「結社の指導句会」に諸事情でなかなか行けないような者(指導句会が身近にない遠隔地会員の方も含む)は、どうやって俳句を勉強すれば、いいのでしょうか。
おそらく、身近にある「超結社句会」への参加、インターネット句会への投句、所属結社の句会への不在投句などが、主たる勉強方法となるでしょう。
これらの勉強方法を否定したり、勉強方法のかけ持ちを否定したりすると、「結社の指導句会」の恩恵がない者は、俳句を学ぶ方法がきわめて少なくなってしまいます。このような事情は、学習者の立場に立てば、容易に想像がつくことではないでしょうか。
「結社の時代」から「学びの多様化の時代」へと、徐々に移りつつあるように思えます。
(私は、結社や指導句会での伝統的な学び方を否定するつもりは、ありません。)