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Channel: 俳句魂
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『藍 490号』を読む

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 今日は岡山の俳句大会に足を伸ばしていました。なんと岡山の方の俳句のレベルが高いこと!おかげで私は無点のまま、香川に帰ってきました。今日は黒岩さんにもらった『藍 490号』を読みました。

  塩パンはいつも売り切れ朴の花 徳見淳子
  坑道へ入るヘルメット昭和の日 峯悦子
  囀りや一本松の献花台 福岡和子
  五月来る移動図書館さざなみ号 星野早苗
  吾が影の中に母いるクリスマス 北村巴

俳誌『里 平成二七年九月号』を読む

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 角川俳句賞は予選通過のみでしたが、どうにか所属結社の賞には応募できました。今年も落選つづきで、ほとんど良いことはありません。今日は俳誌『里 平成二七年九月号』を読みました。

  文化の日パン屋の奧の黄のソファー 黒岩徳将
  まだまだと言うて焦がしぬ初秋刀魚 高田正子 『青麗』
  ここだけの話終わらぬ秋刀魚の火 河西志帆
  極道の叔父の提げきし西瓜かな ひらのこぼ

『俳句界 2015年11月号』を読む

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 『俳句界 11月号』で座談会に出ましたが、少し反響がありました。私が語っている地方俳壇の現状は、ほぼどこの地方でもおなじ。句会は入会者より退会者の方が多くなっているそうです。(現役世代の入会者はほぼ皆無とか)

 座談会で話し足りなかった部分もあるので、いずれまたこのブログで書きたいと思います。(私は結社や指導句会を否定しているわけではありません。その運営方法の改善の必要性を説いているのです。)今日は、『俳句界 2015年11月号』より共感句を引きました。

  きぬかつぎ生者は死者の内にあり 角川春樹
  集落はつぶて程なり狸罠 船越淑子
  おぼろ夜の要となりし鬼瓦 中村正幸
  雨ながらあたり明るき巣箱かな 戸栗末廣
  かなかなや眉上げてゐる西郷像 小浜正夢


  

「ふらんす堂通信146号」を読む

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 「玉藻文芸まつり」という地元の俳句大会に行ってきました。4~5年前は、100名近く参加者がいた大会が今日は、50名前後。同じ方法で大会を継続しても、やがて運営者側の関係者しか来なくなるということでしょうか。停滞化、マンネリ化が顕著になっているような気がします。(岡山や徳島は、著名俳人を講師に招き、参加者100名以上を維持できています)

今日は「ふらんす堂通信146号」を読みました。

  くるぶしにはねて鬼灯市の雨 陰山恵
  七輪の背戸に出てゐる子規忌かな 森典代
  大樟の伐られし後の銀河かな 松田愉菜

『遥照 平成27年 11月号』を読む

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 だんだんと肌寒くなってまた吟行に行きにくい時期に入りかけてます。星野立子新人賞まであと30句。最低、一日、一句以上は残さないと無理です。締切ギリギリでどうにか間に合いそうな気がする。
 今日は、『遥照 平成27年 11月号』を読みました。

  鳥渡る玉砕の島はるかなり 花房柊林
  栗鼠の棲む鎌倉山に木の実降る 中西八千代
  色鳥や音符ちりばめ一筆箋 同上
  遠来の友を駅まで十三夜 森脇八重
  流星や鞆の浦なる常夜燈 浅野陽
  秋めくや渚のカフェの予約席 久戸瀬孝子

  

「()俳句通信 第五号」を読む

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  文化の日です。たまった古本を売りに行こうと考えてます。今日はまず「()俳句通信 第五号」を読みました。

  タービンの動き始むる昭和の日 川嶋ぱんだ
  朝顔の真中に白のありにけり 栄樹
  電柱と郵便ポストと日々草 真崎一恵
  海の日の迷子放送一度きり 黒岩徳将

大串章句集『海路』(ふらんす堂、平成二七年)を読む

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 来年の新年号の寄稿のために、「雑煮」の句を毎日詠んで、やっと10数句。この中で1句だけしか発表できませんが、良い句はなかなかできません。来年の一月号の締切は、どこの雑誌も11月中では?まさか、年末に一人で「福笑」をしたり、「歌留多」をしたりしてる風狂の徒はいないでしょう。今日は大串章句集『海路』を読みました。

  赤道を越え行く船の初荷かな
  淡雪を見上げ花嫁歩き出す
  受験子にポプラもゆりの木も高し
  雛壇に卒業証書置いてあり
  飛魚を見し子未来を語りけり
  箱庭に芭蕉と一茶向かひ合ふ
  日向ぼこ埴輪の顔に似てきたり
  

「俳句界 2015年 11月号」の座談会で言い足りなかったこと

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 高松・木の芽句会を立ち上げて、約1年が経った。
なぜ私以上の句歴の人たち(主に60代以上)が、木の芽句会のような「出入り自由」の「超結社」句会(決してほめ合うだけの句会ではない。結社の指導句会を否定するものでもない)を、地方で立ち上げようとしないのか、不思議でならない。

 今や地方の結社や句会は、所属会員の減少や高齢化で、「機能不全」に陥りつつあるのが、現実であろう。句会や結社のかけ持ちがダメだ、インターネット句会はダメだ、そのようなことを言っている場合ではない。(第一、俳句の勉強手段が一つしかなければ、作句を長い間、継続することは、現代では困難である。)すでに句会も結社も自然消滅してゆく時代に入っている。(試みに、十年前の角川『俳句年鑑』に掲載されている結社数と今年の角川『俳句年鑑』の結社数を比較してみてほしい。)

 このような状況であるからこそ、学生や社会人が気軽に参加できるような句会でなければ、持続可能な「生涯学習」の場にならないのだ。句会は、時間とお金に余裕のある主婦や定年退職者の「お話し会」ではない。全年代が継続的に俳句を学ぶための「生涯学習」の場である。

 年に十二回も特定の句会に行けない者、諸事情で不在投句を中心にしたい者、支部句会が身近に無い者、所属していた句会や結社がなくなった者は、一体どこの句会に行けばいいのか。残念ながら、このような人たちのための句会が、いま地方にほとんどない。(私は、決して、指導を甘くして人を集めよ、ほめ合うだけの句会をせよ、などとは主張していない。入会条件の低い句会の必要性を説いているのである。)
 
 現実を直視し、時代に合わなくなった運営方法を改善し、少しでもこのような現状を変えることが、句会の指導者や結社の主宰の大きな役割である。今までと同じ方法の継続=伝統というのは、固定観念にすぎない。(私は結社や指導句会を否定しているのでは、決してない。時代や地域の状況に合った方法を柔軟に取り入れることを求めているのである。) 
 
 いうまでもなく、句会や結社は、俳句を学びたい者のためにある。もう一度、この原点に立ち戻って「俳句の未来」を考えなくてはならない。


『石田波郷俳句大会 第七回作品集』を読む

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 昨日は久しぶりに長文を書いたせいか、ブログのアクセス数が80を越えました。毎日は無理ですが、たまに長文をアップします。今日は『石田波郷俳句大会 第七回作品集』を読みました。

  消音のテレビ光れる熱帯夜 斎藤志歩
  陽の昇る星に生まれて泳ぐなり 藤本智子
  草笛やときに刃のやうな風 日下部 太亮
  目薬のあとの目を開け颱風裡 高瀬 みつる
   

俳句雑誌にあまり書かれない「現実(リアル)」1

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 結社の指導句会=伝統的=正統な勉強方法。
 
 超結社の合評句会=伝統的でない=本格的に学べない。

この図式はやはり「固定観念」だと思います。実際に地方では、特定の指導者の指導を受けず、超結社句会のみで俳句を学んでおられる方がたくさんいます。そのような方の俳句が、結社に所属している人より劣っているとは、とうてい思えません。
 
 また超結社の合評句会に出される句が、結社の指導句会で出される句と、全く傾向が違うかというと、そうでもありません。(地方で「出入り自由」の超結社句会をしても、「有季定型」「旧仮名遣い」「客観描写」の句が、過半数を占めます)つまり上記の二つの句会の大きな違いは、句会の運営仕方にあると言えるでしょう。

 さてここから現実的な話になりますが、「結社の指導句会」に年に十回以上行って、俳句の基本を学んだという学生や社会人の方に、地方でほとんど、会ったことがありません。(「結社の指導句会」の入会条件が厳しすぎて、「生涯学習」の場になっていないという可能性が考えられます)
 
 では、「結社の指導句会」に諸事情でなかなか行けないような者(指導句会が身近にない遠隔地会員の方も含む)は、どうやって俳句を勉強すれば、いいのでしょうか。
 
 おそらく、身近にある「超結社句会」への参加、インターネット句会への投句、所属結社の句会への不在投句などが、主たる勉強方法となるでしょう。
 
 これらの勉強方法を否定したり、勉強方法のかけ持ちを否定したりすると、「結社の指導句会」の恩恵がない者は、俳句を学ぶ方法がきわめて少なくなってしまいます。このような事情は、学習者の立場に立てば、容易に想像がつくことではないでしょうか。
 
「結社の時代」から「学びの多様化の時代」へと、徐々に移りつつあるように思えます。
(私は、結社や指導句会での伝統的な学び方を否定するつもりは、ありません。)

岡田一実句集『小鳥』(マルコボ.コム、2015年)を読む

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 健康診断の結果に異常はないものの、疲れやすい毎日です。目を使うのもほどほどにして、句集を一冊だけ読みました。

  傘はみな開いてバレンタインデー
  一椀に玉麩ふくらむ真砂女の忌
  炎天やカーブミラーを盲導犬


俳誌「舞 平成27年11月号」を読む

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 ここ三日間、雨が降っています。日々、十句詠んで一句だけ残すと、日記を書くということも少なくなりました。(まずそこまでするネタが無い)というわけで、このブログもほぼ私の読書メモ程度になっています。今日は俳誌「舞 平成27年11月号」より、句を引きました。

  きみ亡くて雨に打たるる草の花 山西雅子
  秋の蝶堕つチェス盤のやうな床 陰山恵
  日盛やまこと小諸は坂の町 今井とんぼ

 
  

『俳壇 2015年12月号』を読む

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 今の時期になると、来年のカレンダーや手帳、日記などが書店に並びます。同じ時期に俳句総合誌では、今年を振り返るアンケートがよく載ります。毎年、買わなくても、だいたい予想できそうな質問と答えです。「所属結社がなくなったら、どうしますか?」みたいな悲観的な質問は絶対ありませんし、今年の成果もほとんど回答者の身辺のことばかりになっています。俳句を読まない、詠まない人が買って「面白い」と思う俳句総合誌がどれだけあるでしょうか・・・。

  人形もリュートも遺品冬めきぬ 片山由美子
  東京の空澄みわたる雑煮かな 佐藤郁良
  今日の月小学校の正門に 山本洋子
  

俳句雑誌にあまり書かれない「現実(リアル)」2

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 いつか長文を紙媒体に書こうかと思い、「俳句随想フォルダ」にファイルを保存しているのですが、時間がないのと原稿依頼が来ないので、そのままになってます。少しずつブログにたまにアップしてゆきたいと思います。

 さて以前、「結社の指導句会」と「超結社の合評句会」の記事を書きました。(句会の形式は、他にもあると思いますが)

 「一結社のみで、特定の指導者がいて、毎月ほぼ同じメンバーで~」というのが明らかに前者のイメージだと思います。
 
 さてここから、ネガティヴな話しになります。たとえば全会員五〇〇人未満の結社で、結社の本部から遠く離れた地方で、十人前後の支部句会をしていることを想像してみて下さい。会員の平均年齢が七十代であれば、身体的な問題や家庭の事情で退会者が、数年のうちに何名か出ることは容易に想定できるでしょう。

 都会の俳人には、信じられないかもしれませんが、地方の一結社のみの支部句会で4~5人で頑張っているところもあるのです。(しかし、現実的には、この方法で、句会を十年も二十年も継続することはかなり困難でしょう。そして、少人数であればあるほど、句の傾向の固定化やマンネリ化が起こります。俳句の学習の場としては、デメリットの方が大きくなるのです。)


 一方で、形式としては「結社の指導句会」であっても、寛容な指導者の方が、他結社に所属している方や無所属の方も受け入れて、平等に指導されている句会もあるのです。(そうしなければ、人数的に句会自体が成立しないからです。)

 「一結社のみ、毎回参加できる人を中心とした指導句会」が、過疎化が進んでいる地方では、すでに継続が難しくなっているのです。このような事は、俳句総合誌にほとんど書かれないため、あえてここに書きました。

鎌田俊句集『山羊の角』(恵曇舎、平成二七年)を読む

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 最近、30代の方からよく句集が送られてきます。20代の頃に俳句に馴染んで、まとまった句数が貯まってくる年代なんでしょう。私の第一句集『一番線』(文学の森)は厳選の150句(この10倍以上の句が今も手元にあります)でしたが、300句前後の収録が普通のようです。今日は、昭和54年の生まれの鎌田俊さん(「河」所属)の句集『山羊の角』(恵曇舎、平成二七年)を読みました。

  それからの大和はいかに花蘇鉄
  数へ日のひと日ひと日を遊びけり
  粉ミルク両手に提げて春隣
  双六の赤の広場に来てをりぬ
  抱けば子の熱きはらわた十三夜




藺草慶子句集『櫻翳』(ふらんす堂、平成27年)を読む

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 だんだんと年末に向かっておりますが、今年の秋から俳句関係の文章の締切も多くなったので、焦っております。

  「仕事は忙しい人に頼め」ということわざ(?)が意味するところは、「勢いがついている人ほど仕事が早いから」だったでしょうか。気が向いた時だけ、原稿用紙2、3枚書くとか、1,2句詠むのだったらどんなに気が楽か(それはそれで完全に遊びでしょう。みな生業や家事、学業などの合間に、句を作ったり、文章を書いているのですから)

今日は藺草慶子さん(「屋根」・「星の木」所属)の最新句集『櫻翳』から引きました。

  大寺の日向水とて顔うつす
  火の映る胸の釦やクリスマス
  水底にすみずみに日や年詰まる
  ひといきに消す黒板や初嵐

俳誌『運河 平成27年11月号』を読む

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 1年の長期連載というのは、気が抜けないもので、昼休みと帰宅後に俳誌ばかり読んでいます。「運河 11月号」は、同人句を鑑賞するために五回以上、読みました。読むたびに共感句のマークが増えて大変なことになってます。今日は俳誌『運河 平成27年11月号』より引きました。

  十万年前は火山ぞ雲の峰 茨木和生
  原子炉の白亜八月十五日 小畑晴子
  防人の妻恋の碑に小鳥来る 村山勝則
  デモの伴せよと言はるる生御霊 山中 昌子


平成27年の俳人活動報告

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 今日は読書ネタがなかったので、手前味噌の今年の俳人活動の報告です。所属の結社誌・同人誌以外の外部の活動です。

平成27年1月 『俳句 平成27年1月号』に作品掲載。
平成27年1月 『俳句あるふぁあ2015年2-3月号』に作品掲載。

平成27年3月 合同句集『関西俳句なう』(本阿弥書店)出版。
平成27年4月 『俳句界 2015年4月号』に作品掲載。
平成27年5月 『俳壇年鑑2015年版』(本阿弥書店)に作品掲載。

平成27年5月 倉敷市文化祭俳句大会選者を受託。

平成27年6月 『俳壇 平成27年6月号』(本阿弥書店)に作品掲載。
平成27年7月 『南風 平成27年7月号』に「俳句深耕」を寄稿。
平成27年8月 『俳句 平成27年8月号』に作品掲載。

平成27年11月 『俳句界 平成27年11月号』に座談会。



平成27年の応募履歴

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 昨日に引き続き、原稿書きの合間でネタがないので、今年の数十句単位の賞への応募履歴をまとめてみました。すなわち落選歴なのですけど。

角川俳句賞(未発表句、50句)→予選通過。落選。
圭岳賞(未発表句20句、本年だけの結社内での賞)→結果待ち。
星野立子新人賞(未発表句50句)→あと5句で完成。その後、来年まで結果待ち。
俳壇賞(未発表句、30句)→結果待ち。

俳句四季新人賞(三年以内の既発表句30句)→結果待ち。
村上鬼城賞(既発表句30句)→落選。

ついでに
山本健吉評論賞→落選。


『角川 俳句 平成27年12月号』を読む

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  昨日は「勤労感謝の日」。地元で伝統俳句協会の行事があったので、若い友人ともぐり込みました。句会前の坊城俊樹氏の講演は、現在の伝統俳句の問題点(類想性など)がテーマでした。
 現在の伝統俳句協会が、以前ほど(虚子選の「ホトトギス」時代)「客観写生」を主張しなくなったのは、何故なのか、と思っております。(おそらく「客観写生」+アルファ、もしくは「客観写生」を越えるものを志向しているというのが、今の伝統俳句協会の方針なのでしょう)(内心、俳人協会の会員の一部のほうが、「客観写生」がしっかりできてるぞと、私は思ってるのですが)

 今日は『角川 俳句 平成27年12月号』を読了しました。

  月の出や北京ダックのこがね色 山尾玉藻
  すれちがふ人に海の香望の月 川上弘美
  初風といひて母立つ戸口かな 山本洋子
  沖荒の見ゆる二階に試筆かな 茨木和生
  初夢の朱鷺に近づきすぎしかな 本宮哲郎
  犬を呼ぶ声潤みをり天の川 遠藤由樹子
  金貸してくれと夜寒の長電話 中本真人
  立葵軍人勅諭忘れたり 佐藤みのる

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